歩く地図がんぺー

マレーシアやマレー世界が好きなだけの青年が、マレーシアの歌を翻訳したり、マレー世界についてなにか紹介とかするブログです

韓国学校の青春②朝鮮学校との違い

 どうも。がんぺーです。

 前回、韓国学校の授業について、ものすごくテキトーにですが紹介しました。

 私の記事は写真を貼りつけることが多いのですが、話題が話題なのでいい写真がありません。なにかあれば貼ってみましょう。

gwangpee.hatenablog.com

  前回記事にも書いていますが、私たち韓国学校卒業生は、朝鮮学校と混同されやすいのが現状です。まあ、どっちもザイニチの学校ですから、傍から見れば同じに見えるのでしょう。

 私も朝鮮学校に通っていたわけではないのであまり詳しくないのですが、民族団体に出入りしていることもあり、朝鮮学校出身の知り合いはたくさんいますので、聞いた話をもとに韓国学校朝鮮学校の違いを紹介してみます。

 尚、私は韓国学校で教育を受けているので、どうしても韓国側の視点になるのはご容赦ください。

 

 まず運営母体ですが、ざっくりいえば韓国学校は韓国民団、朝鮮学校は朝総連が運営しています。前者は韓国側の、後者は北朝鮮側の出先機関で、在日韓国人でもどちらの政府を支持するかで所属団体が変わってきます。このふたつが二大民族機関で、ほかにも韓統連とかいろいろあるのですが、そのへんは詳しくないことと、韓国学校朝鮮学校を語るときにはあまり関係ないので省きます。

 それぞれの運営母体の政治スタンスはもちろん学校の教育にも反映されます。と書くと、なにやら危ないかんじがしますね。ぜんぜん危なくないんですがね。

 韓国学校は太極旗(大韓民国の国旗)が校舎の上や教室の黒板の上に掲げられています。体育館の旗は太極旗と校旗。韓国のことは「韓国」、北朝鮮のことは「北韓」と呼ぶのは韓国と同じです。

 朝鮮学校は、知っている方も多いかもしれませんが、将軍様肖像画がかかっているそうです。いまは高校と大学だけだそうですが、以前は小中にもあったんだとか。北のことは「朝鮮」、韓国のことを「南朝鮮」と呼びます。

 

 先日、朝鮮学校出身の友人が面白い話をしてくれました。

 その学校の最寄駅の近くに新興宗教の施設があり、度々生徒も勧誘を受けたそうなのですが、その友人が勧誘してくる人に「神様なんかいらん。俺らには将軍様がついてる」と言ったそうです。破壊力抜群のワードですね。

 

 授業ですが、前回記事にも書いてある通り、韓国学校の授業は韓国語と韓国社会以外は、韓国出身の先生が教えない限りは日本語で進みます。学校内でも韓国語の使用が推奨されますが、必ずしも強制されることはありません。

 また、小中高それぞれで募集をかけること、またそれぞれを卒業した段階で他の学校に進学する生徒も少なくありません。私の学年は、中学卒業→高校入学の時点で半数が入れ替わりました。高校から入学した半数はほぼ全員が日本の学校出身です。

 対して朝鮮学校は日本語の授業、即ち日本の学校でいう国語の授業以外は朝鮮語(韓国語)で教えられます。学校内でも原則日本語禁止で、嫌でも朝鮮語が身につく環境です。基本的に小中校、人によっては大学まで一貫教育を受けること、またなによりも朝鮮語で教育するので、日本語しかわからない状態での途中からの編入や入学が難しく、実際そのような児童生徒はひとりいればいいくらいだとか。出ていく生徒は多いものの、途中から人数が増えることはないそうです。

 

 また、朝鮮学校は必ず在日朝鮮人であることが条件ですが、前回記事の通り、韓国学校は東京を除き一条校で、生徒募集も在日に限らず日本人も入学します。最近ではK-POPブームなどで韓国語を学びたいと入学してくる日本人生徒もいますが、昔から韓国学校に入学してくる日本人生徒は部活動が目当てです。我が母校はバレーボールと吹奏楽が全国レベルで強く、それをするために入学してくる日本人生徒が毎年一定数います。

 

 日本人が外国に住むことになった場合、そこに移民する人以外は、帰国後のことを考えて日本人学校に通わせる人が殆どだと思います。それとおなじようなかんじで、韓国から日本に来て帰国予定のある生徒ももちろんいます。そしていちばん多いと思われるのが、いわゆる在日とは違う、ニューカマー(新定住者)と呼ばれる人たち。彼らは日本語も韓国語も母語みたいなもので、どちらも自由に使いこなしていたのが印象的です。

 原則、日本語で授業をする、日本の認可がある学校なので、韓国語がまったくわからない在日の生徒も入ってきます。小学校または中学校まで日本の学校で過ごし、中学あるいは高校の段階で入学してから韓国語を学びはじめます。OBの子弟が多いことも特徴です。

 

 以上、ざっくりと紹介しましたが、最後に歴史の話を少し。

 じつは韓国学校朝鮮学校は、殆どその設立の経緯が同じです。

 日本が戦争に負けて韓国が開放されたとき、韓国出身者とその子供が200万人ほど日本に住んでいました。国に帰ろうと準備するわけですが、ごたごたがあったりですぐには帰れません。そこで帰るまでには子供に言葉くらい教えようということで、国語教習所というのが全国各地にできます。子供のための韓国語塾のようなもので、学校ではなかったのですが、そうこうしているうちに韓国は南北に分断され、南側には大韓民国が、北には北朝鮮が樹立します。そして朝鮮戦争。国には帰れなくなった韓国人たちのなかには、塾からほぼ学校になっていた朝鮮「人」学校に子供を通わせている人もいました。

 朝鮮人学校は経営に行き詰まるわけですが、そんなときに「あなたたちの教育資金を出してあげましょう」という甘い言葉が届きます。焦土化した国土からいちはやく復興を遂げていた北朝鮮からです。当時、韓国は世界最貧国のひとつで、北は共産主義ネットワークを駆使し(韓国と比べて)そこそこ豊かになっていました。日本人でさえ食べる者がなかった時代に、在日は北朝鮮が「自分たちを見捨てなかった祖国」と幻想を希望を抱いて、朝鮮人学校は北朝鮮からの教育支援を受け取ります。

 こうして、日本中の朝鮮人学校はみごとに北朝鮮の学校、いまの朝鮮学校に変わったわけですが、そのなかでごく少数の学校はその教育資金を受け取りませんでした。大韓民国が自分たちの祖国であると信じていた人たちです。のちにそれらの学校にも民団や韓国からの支援が入り、韓国学校が生まれたわけですが、多くの学校は北朝鮮イケイケの時代に朝鮮学校になっていたため、韓国学校はいまでもごく少数に留まっています。

 

 と、ここまでざっくり韓国学校サイドからの視点で成立の経緯を紹介しましたが、また朝鮮学校サイドからも紹介している人がいるかもしれませんので、関心のある方はそちらもご参照ください。

 しょうもないおちですが、私の母校はここで述べた設立経緯とはまた違った歴史を辿っています。まあそれはいつかの機会で。

韓国学校の青春

 どうも、祖父母が韓国出身、在日韓国人三世のがんぺーです。日本籍に帰化しているので、韓国系日本人と言ったほうが正しいですね。そんな私ですが、在日韓国人にしては珍しく、韓国学校を出ています。

 日本人にも、在日韓国人にも「ああ、朝鮮学校ですか」と言われることが多いのですが、いえいえ違います。私が卒業したのは韓国学校です。日本全国に何十校もある朝鮮学校とは違い、韓国学校と呼ばれる学校はたったの五校だけ。縮小傾向とはいえ、まだまだ生徒数も多く規模も大きい学校のある朝鮮学校とは違い、生徒数も少ない小ぢんまりとした学校が殆どです。

 韓国学校出身ですと言えば、インターナショナルスクール出身者ともものすごく偏差値が高い進学校ともまた違った興味を持たれるらしく、よくいろいろなことを訊かれるので、最近これは話のネタになると思いました。ので、ド主観ですが、私が青春時代を過ごした韓国学校のことを紹介してみましょう。

 尚、もう一度断っておきますが、主観です。中高しかいなかったので、小学校のことは省かせていただきます。

 

そもそも韓国学校とは

 日本には公立の学校のほかに、国立や私立、そして私立でも日本の教育課程の認可を受けていないインターナショナルスクールや外国学校の日本校、また民族学校などがあります。民族学校というのは、韓国学校朝鮮学校中華学校などの日本に住む外国ルーツの人たちの子弟が通う学校です。

 

 民族学校の殆どは日本の教育課程の認可を受けていないため、各種学校扱いになります。極端に言えば、自動車学校とかと同じ扱いです。が、自動車学校と違って日本の初中等教育と同じような教育が行われているため、そこを卒業したら日本の教育課程を終えたことにはなりませんが、卒業していると見做されます。

 

 韓国学校は東京にある学校を除いて、そのような各種学校ではなく、日本の教育課程の認可を受けているいわゆる一条校と呼ばれる学校です。一条校という言葉の由来は、この「日本の教育課程の認可を受けている」条項がたしか第一条かなんかで、それで一条校と呼ばれるのですが、合っているかどうか知りません。とにかく、私が卒業した学校は一条校と呼ばれる、日本の教育課程の認可を受けた学校なのです。そこを卒業したら、普通の高校と同じように中卒、高卒が認定されます。

 

授業について

 学校といえば勉強する場所ですよね。私はしてませんでしたが。とにかく学校といえば授業です。

 先述の通り、私が卒業した韓国学校一条校です。即ち、日本のフツーの高校と同じような授業があります。ところが韓国学校は、大韓民国の教育課程の認可を受けているのがウリみたいなもんでして、韓国の教育課程に従った授業を開講していなければなりません。

 

 なので、日本語と英語、そして韓国語の授業があります。歴史は日本史と世界史、そして韓国史があり、在日韓国人の学校ですから在日史の授業もあります。もう歴史オタクみたいになりますよ。中学校は、社会科とは別に韓国社会も別科目として開講されています。

 

 授業は基本的に日本語でします。が、韓国語や韓国史などの授業は韓国語です。さらに、ほかの教科でも韓国出身の先生が教壇に立った場合は韓国語での授業になることもあります。日本の教科書で英語を韓国語で習うとかあるんですよね。

 

 韓国語の授業は習熟度別で、できない生徒から順番に初級クラス、中級クラス、上級クラスなどと開講されていきます。いちばん上のクラスは韓国の中高で教えられている国語の授業と全く同じです。

 

 ちなみに我が母校では国語といえば韓国語の授業を指し、じゃあ日本の国語は何というかといえば日語と呼ぶんですね。一条校ですが、あくまで韓国の学校ということですので。韓国史の授業も国史と呼んでます。

 

 日本と韓国両国から認可を受けていて、両国の卒業資格が得られる代わりに、授業数はその辺の高校よりは少し多いです。ちなみに英語など他の科目はひとつの授業が日韓両国で認定されているからか、日本の英語と韓国の英語、日本の化学と韓国の化学、両方するといったことはありません。ただ英語に限って言えば、韓国の教育過程では授業数が日本よりも多いからなのか謎に多かったです。

 

 日韓両国から来た先生がいるのは先述の通り。こんなことも起こります。

 韓国語が上手でない同級生(在日)がいて、韓国出身の先生にぶちぎれたんですね。「俺は韓国語がわからないからテストの問題に日本語をつけろ」と言ってました。その先生は韓国から来たばかりであまり日本語がうまくなかったので反応も微妙だったのですが、次のテストではちゃんと日本語のきれいな訳が問題についていました。日韓両語ができる先生がたくさんいたので、テスト問題を翻訳することくらい朝飯前ですから。

 

 

 とまあテキトーで速足すぎましたが、こんなかんじで韓国学校で過ごした青春時代を紹介してみたいと思います。

北京駅の思い出

 突然だが、私は世にいうバックパッカーである。深夜特急に影響された、というよくあるパターンだが、正直なところ最近はカネがないので仕方なくバックパッカーになっているようなものである。カネさえあれば、ファースト・クラスで移動し、ファイヴスター・ホテルのスウィート・ルームに泊まり、食事もルーム・サーヴィスで済ませ、チャーター・タクシーで優雅にサイト・シーイングしてみたいものである。

 いや、そこまでしなくてもいいが、そろそろせめてちゃんとしたホテルに泊まりたい。最近は余裕があればホテルに泊まるようになった。安宿はしんどいと感じるときもある。

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北京駅

 そんな私のバックパッカーデビューは、中学一年生のときに青春18きっぷで九州の親戚宅を目指した時に遡るが、外国デビューはその3年後、高校一年生の春休みの中国であった。前述の通り、深夜特急に影響されたこともあるが、それ以上に中国に行ってみたかったのである。週一で学校外の中国語教室に通い、ほんの少しであれば中国語が解せたのだが、せっかくなので中国に行ってみたいと思うのは当然の流れだろうか。

 ちなみに私が中国語を学び始めたきっかけは「香港映画にハマりすぎて広東語を学びたかったが、教えているところが少ないうえに料金も高く、どうせ香港に行っても文語は中国語とおなじなので先に中国語を勉強しておこう」という理由だった。料金も安く家から近かったのは中華民国系の民族学校が開講している外部向けの中国語講座で、台湾国語を学んでいた。

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万里の長城。中国のスケールの大きさに圧倒されるも、あまりの人の多さと凍え死にそうな寒さで感動が7割ほどになった。

 親は当然、反対した。危ないし中国には親戚もいない。高校一年生である。大学生になってから行けばいいじゃないか。しかし私は頑なだった。結局、お金は自分で出すことができたのと、父親も深夜特急が好きだったので許可が下りた。

 旅行資金はお年玉から捻出した。私の親戚には大金持ちの一家がおり、その家に行くだけで軽く10万円以上は貰えた。加えて高校生にしてはまったく遊ばなかったので貯まっていた。

 北京を起点に上海と香港を巡る、中国二大都市と憧れの香港、みたいな旅行にした。移動は寝台列車で。切符は現地で購入した。北京発上海行き寝台特急の切符は簡単にとれるはずがなく、上海の少し北にある南通まで行き、バスで上海入りした。

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天安門広場。早朝の国旗掲揚式も観に行きたかったが当時は治安を心配し、降納式だけみた。いまなら平気で出歩いているだろう。

 その南通に向かうときである。中国の長距離列車は、荷物検査があるのと、飛行機のように列車ごとに改札を行うため、駅で待機しなければならない。早めに駅に着き、ぼーっと改札を待っていると、近くに座っていたおじさんが話しかけてきた。おそらくそのおじさんはただ単に話し相手が欲しかっただけかもしれない。中国を旅行しているとそういうことがたまにある。

 おじさんは朝鮮族だというが、中国語だけで育ったので韓国語ができなかった。私も在日韓国人である。なにか親近感が湧いた。私の拙い中国語と、持っていたペンを使って筆談で会話した。30分ほどだったが、私が初めて会話した中国人だった。

 中国やインドネシアに行くとおやつでひまわりの種を食べるが、種の割り方を教えてくれたのはそのおじさんだ。ひまわりの種を食べると、人で溢れた北京駅の通路を思い出す。

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トロリーバスも新鮮だった。いまでもだけど。

 私が乗る列車のほうが出発が早かったのだが、おじさんは改札口の近くまで見送ってくれた。ついでにひまわりの種もくれた。

 乗り込んだ北京発南通行き直達51列車は、私の記憶が正しければ、全車二段寝台で構成される、富裕層向けともいえる列車だった。あのおじさんのように、床に座り込んでひまわりの種を食べる人は恐らくいない。同じ車両にいた、車両を案内してくれたお姉さんは英語が流暢だった。

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左が南通行き直達51列車。いまでもあるのだろうか。

 以来、私は何度か中国に訪れている。北京はこのときが最後で、その後は専ら広東省や広西自治区しか訪れていない。多くの人と出会ったが、旅をしているなかではじめて印象に残ったのはそのおじさんだ。

 当時はガラケーだったが、いまならスマホをもっていて、中国のSIMカードを挿し、WeChatを交換しただろうか。それもなかったからこそ、よく覚えているのかもしれない。

 春休みのくっそ寒かった北京。万里の長城に行くバスを乗り間違えたことや、クレジットカードの勧誘を受けたこと、天安門広場の国旗降納式といっしょに、おじさんと話したこともいい思い出である。

世界のチャイナタウンを歩く会~韓国仁川~

 台湾といえば食。特に小籠包をイメージするかもしれません。台湾に行った人は皆おいしいと口を揃えて言います。「台湾ってご飯美味しいよねー」「また行きたーい」とよく聞きます。
 台湾料理の定番に思われている小籠包ですが、実はその発祥は遠く離れた山東省で、台湾では小籠包=大陸の料理と言われています。国民党が中国大陸から台湾島に移ったときに、いっしょに来た国民党を支持する大陸出身者のなかにいた山東人が持ち込んだ料理なのです。日本人が必ず行くあの有名な鼎泰豐の創始者山東人なんです。

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まさに中華街

 山東省から黄海を隔てた韓半島には、港町として栄えている仁川があります。アジア随一のハブ機能をもつ国際空港があることで有名な仁川です。その空港から車で半時間ほど行ったところにチャイナタウンはあります。空港から遠いというよりは、空港が市街地から遠いんですよね。
 山東人とその子孫が中心の韓国華僑社会では、山東省など北部の料理が発祥のメニューが韓国中華として定着しました。ジャージャー麺改めチャジャンミョン。マントウではなくマンドゥ、それも水餃子。酢豚などが有名です。
 仁川チャイナタウンは、いまでは観光地化されていますが随分と広く、それらの料理がたくさん売られています。神戸や横浜のチャイナタウンと同じく、ソウルっ子が食べ歩きデートなんか言ってくる場所です。週末に訪れましたがかなり賑わってました。

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週末だったこともあり賑わっていました

 観光地化されているとは言っても、古くからある町なので境界線が曖昧なところもあり、少し離れれば中華学校があってその周りは住宅街だったり、そのなかにドーンと山東省青島から贈られた孔子像なんかが立ってたりします。
 韓国でも中国といえば三国志のイメージが強く、その人気も高いので、三国志のキャラクターと記念撮影できるコーナーみないなのもありました。
 華南地方出身者が中心の東南アジアのチャイナタウンがフィールドの私にとっては、華北地方出身者が多い韓国のチャイナタウンはまた違った発見ができるいい機会です。料理の種類から見聞きする言葉まで全く違います。

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華僑中山学校の外壁。名前からし国府系です

 政治イデオロギーの違いによって南北に分断され、東西冷戦時代にはバリバリの親米反共路線を突っ走っていた大韓民国。かつて学校の教室に「反共」と書かれていたほどの国ですから、当然外交政策にも反映されます。
 光復後、大韓民国とほぼ同時期に共産主義国家の中華人民共和国が成立し、それまで中国大陸を統治していた中華民国は、福建省沿岸部の一部を残して台湾島に逃げ込みました。光復前から韓国に居住していた華僑の国籍は中華民国で、反共体制の韓国に住む華僑が支持すべき政府は故郷にはなく、全く知らない土地にあったのです。韓国の華僑団体といえば中華民国を支持し、中華学校には青天白日旗が掲げられています。

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華僑協会には中華民国の国章が掲げられています

 冷戦終結後しばらくして韓国と「中共」は国交を樹立しましたが、既に世代を重ねていた韓国華僑は台湾との結びつきが強くなっていました。韓国から山東省に向かったのは、華僑たちよりもビジネスチャンスを求めた韓国人たちです。
 在日韓国人と同じく、マジョリティが大多数を占める国家のなかで生きたマイノリティは数多くの理不尽を味わい「祖国」である中華民国に「帰国」する人もいました。向かった先は台湾島です。いまでも台北には韓国から移住した韓国華僑の集住する一角があるそうです。
 韓国に定住するにつれて、子どもが中国語を離せなくなったり、韓国籍を取得する人も増えました。かつて「血が違う」と排除し、進学や就職で差別を受けてきたのもいまは昔、徐々に改善されつつあるのは、韓国社会のなかにひとつの多様性が認められつつあるという証拠なのかもしれません。

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韓国でも中国古典文学といえば三国志。広く親しまれています

 「中共」と呼び敵視していた中華人民共和国との国交を結んでからは、地理的な近さもさることながら、華僑たちのネットワークもあったのか、山東省や遼寧省などの黄海沿岸地域との交流が盛んになり、仁川港からは華僑たちの故郷である青島や威海などと結ばれています。そこには、韓国系中国人である中国朝鮮族の住む丹東や大連などとも結ばれました。韓国で中国人といえばいまは華僑よりも朝鮮族を指すことが多くなりました。
 韓国と中国、そして華僑と朝鮮族が繋がった仁川。空港からは朝鮮族の中心地・延辺にも飛行機が飛んでいます。

 苦難の歴史を乗り越え、新たな時代に向かっていく華僑華人たちの生活が息づく仁川チャイナタウン。また時間があるときにじっくり歩いてみたいです。

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手前の店は青天白日旗、奥には五星旗。政治や文化などさまざまな背景が絡み合っていまの仁川チャイナタウンがあります

マレーシアの日

 あぱかばー(どうも)。

 先日、ジャカルタに行ったときに、マレーシア経由だったのにマレーシアに入国する時間がなかったがんぺーです。 

 日本には建国記念日アメリカには独立記念日などがあるように、マレーシアにも、建国を祝う祝日があります。

 まずは8月31日のマレーシア独立記念日

 マレー語ではHari Kebangsaan Malaysiaといいます。が、少々お堅い表現なので、独立という意味のMerdeka(ムルデカ)もよく使います。Hari Kemerdekaan(丁寧な表現)もよく言いますね。

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独立記念日とマレーシアの日を祝う垂れ幕

 フォーマルな場面では、Selamat Hari Kebangsaan Malaysia、友人やご近所の人にはSelamat Merdeka!(独立おめでとう)などといいます。ことし(2018年)は独立61年目です。

 61年前に独立できたのはいいのですが、現在のマレーシアの領土が決まるまで、少々複雑な経緯を辿っています。

 まず、お手元に地図を用意してください。そしてマレーシアを探してください。読者に地図を用意させる自分もどうかと思いますが、こればかりは探してもらったほうがいいのです。「マレーシアの場所くらい知ってるぜ」という方は頭の中で描いてください。周辺国も一緒に描いていただけるとありがたいです。

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マレーシア国旗が描かれたウォールアート

 マレーシアを見つけた方で、マレーシアの領土がなんかおかしなことになっているなと思った方はいらっしゃるでしょうか。あなたの疑問はたぶんまちがっていません。そして疑問に思わなかったとしても「まあこんな国もあるやろ」と考えている方もいると思うので、そう思っても思わなくても大丈夫です。

 マレーシアの領土は、南シナ海を隔てて大きくふたつの部分にわかれています。首都クアラルンプールがあるのはタイの南に少し膨らんだ形であるマレー半島です。以下半島部と記します。半島部の南にちょこんとシンガポールがくっついていて、西隣には巨大なインドネシア領スマトラ島があります。

 そして半島部から海を隔てた東側には、東西に広い領土がありますね。南側をインドネシア、そしてなぜか間にブルネイと言う小国があります。こちらの島はボルネオ島と呼びます。以下、ボルネオと記します。オランウータンやテングザルで有名な島です。ちなみにインドネシア側はカリマンタンと呼ばれます。

 さて、ここまでいろいろな国名や地名が出てきてややこしいかと思いますが、今回キーワードになるのはこちらのボルネオのほうです。マレー語ではBorneoと書きます。ちなみに半島部はSemenanjung(スムナンジョン)と呼びます。ボルネオに対しての半島部、という意味でよく使用する言葉です。

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ボルネオ島サラワク州シブの市場

 マレーシアが独立したのは1957年、イギリスからです。そのときにマレーシアとして独立したのは、現在の半島部だけでした。

 イギリスは、各地を植民地にしていった経緯が少し違うため、その統治方法も違っていました。詳しいことは割愛しますが、半島部が英領マラヤと呼ばれていました。

 ボルネオは現在でも二つの州がありますが、現在の西側にあるサラワク州がサラワク、東側にあるサバ州北ボルネオと呼ばれていました。サラワクは1946年まではサラワク王国と呼ばれていましたが、のち直轄植民地になります。北ボルネオはかつて英国東インド会社領という植民地と言うよりは会社領というわけのわからん存在でしたが、のちに直轄植民地になってます。ちなみにブルネイはイギリスの保護領シンガポールは英領マラヤとは別枠で統治されていました。

 このへんの歴史的経緯はすこしワケがワカランことになっているので、ざっくり「半島部とボルネオとは英国領だったがなんか違う」と思ってください。

 1957年8月31日にマレーシアが独立しますが、そのときこれらの英国領はまだ独立できていませんでした。このブログでこれからの歴史的経緯を書いていると終わらないので、ざっくり飛ばしますと、1963年9月16日に、晴れてこれらの地域もマレーシアとして併合することができたのです。

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半島部ペナン島セブンイレブンにて。独立記念日キャンペーンの案内

 ちなみにこのとき、ブルネイはマレーシア併合を拒否。そしてシンガポールは併合されますが、二年後の1965年8月9日には、マレーシアと分離独立することになります。

 ボルネオのほうは、1957年の独立時には半島部いっしょに独立していませんでした。ですがこれらの領土がくっついて今のマレーシアになったぞ。ということで、マレーシアの日という記念日になりました。

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サバ州パパールのジャングルクルージング

 このマレーシアの日ですが、半島部ではその経緯からか、反応が薄いことは否めません。盛り上がるのはボルネオのほうで、サバやサラワクでは独立記念日よりマレーシアの日のほうが盛大に祝う印象です。逆に、ボルネオのほうでは、独立記念日は半島部に比べると盛り上がりに少し欠けるかなという印象です。

 割愛しましたが、併合までの経緯から、ボルネオの自治権は強く、現在でも半島部からボルネオへは出入境審査があります。これややこしいのですが、半島部からボルネオに行くときは国内線乗り場から、ボルネオから半島部、またはもう一方の州に行くには、国際線乗り場というか州際線乗り場から飛行機に乗ります。

 さきほど、盛り上がりに欠けるだのなんだの述べましたが、今日のマレーシアのかたちが出来上がったのがこの日。マレーシア人にとっては、独立記念日と同じく大切な日なのです。

 ボルネオといえば、マレーシア最高峰のキナバル山や、世界自然遺産にも登録されているグヌン・ムルなど、ほかにもたくさんの見所があり、半島部とはまた一味違う魅力があります。是非いちど、半島部でもボルネオでも、できれば両方とも、マレーシアを訪れてみてください。

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サバ州コタキナバル沖の島にて

 尚、途中で割愛したサラワク(王国)や北ボルネオ、マラヤ、シンガポールなどの経緯は興味深いので、関心のある方は是非調べてみてください。説明不足ですみません…

ジャカルタで乗り回そう

 どうも。二時間で時差ボケしてしまったがんぺーです。

 先日、盆休み明けに、大学の先輩がインドネシアで結婚するということで、アジア大会で盛り上がるジャカルタに訪れていました。

 結婚式の件はのちに紹介できればと思うので、今回はジャカルタの交通事情について紹介します。といっても、超個人的な基準で判断しているので、この記事を読んだからといって参考にしすぎないようにしてください。

 

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ジャカルタの渋滞(macet/マチェット)

 ジャカルタは他のインドネシアの都市と違うところがあります。

 ジャカルタは…公共交通機関だけでの移動が可能だというところです。

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 おい待たんかいと。公共交通機関がないところなんかあるんかいと、おっしゃりたい気持ちもわかりますが、これ本当で、ある程度の大きな都市にならないと公共交通機関が後述するアンコットだけになったり、場所によっては殆どなかったりします。バスがあっても殆ど動いていないなんてザラです。インドネシア第二の都市は東ジャワ州のスラバヤという街ですが、300万都市にも関わらずバスですら満足に動いていないそうです(又聞きなので信憑性に欠けますが)

 とにかく、インドネシアで唯一といえる、公共交通機関だけで移動できる街・ジャカルタの様々な乗り物を、独断と偏見で紹介します。 

ジャカルタで乗り回そう

 今回の公共交通機関の紹介には、タクシーやバイタク(オジェック)は省かせていただきます。公共交通機関だけということで。

Buswayバスウェイ

 (個人的に)ジャカルタを代表する交通機関といえばバスウェイです。渋滞で動かない一般道の隣を、専用道を気持ちよさそうに通過していく、あの背が高いバスです。

 ジャカルタというのは地盤が弱い土地なのか、地下鉄の開発が遅れ、こんどやっと開通しますが、その工事の完成を悠長に待てるほど慢性化した渋滞を看過できる状態ではありませんでした。

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左側の区切られた専用道を走るのがバスウェイ

 「地下鉄は建設に時間がかかる、でもバスは渋滞する、このまま放っておける状態ではない…はッ!そうだ!バスと電車を合体させよう!」と思ったかどうかは知りませんが、バスと電車のいいとこどりのようなバスが開通しました。

 乗車するには、まず駅に行きます。駅といってもインドネシア語ではHalte(バス停)という単語を使っているので、バスの亜種ですよということなのでしょう。あのシステムを見て電車に近いと思うのは日本人だからなのでしょうか。

 駅は大通りの真ん中に設置されていることが多いです。歩道橋の真ん中にあるクソ長いスロープを歩かされるところが多いので、歩道橋を歩いているときに「乗りたいバスが来た!走れ!」といっても間に合わないので諦めてください。次のバスに乗りましょう。

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ホームまではだいたいこんな歩道橋を延々と歩きます

 バスウェイというのは、バスはバスなのですが、電車が駅に停まるようにホームがあり、ドアもホームの高さに合わせられています。改札もあるので、前述の通り電車っぽいバスだと思ってください。ただ、いくら特別な仕様であっても、バスはバス。収容能力の限界が通常のバスよりは多くても鉄道よりは劣るのは否めず、時間帯や路線によってはアホみたいに混みます。

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駅に接近するバスウェイ。車掌も乗務して、英語放送もあるので安心

 ジャカルタの主要な場所はだいたいバスウェイが網羅しています。路線が多すぎて訳が分からないことになっていますが、駅員や車掌に聞けばちゃんと教えてくれます。そして安いです。3.500ルピア(35円くらい)くらいなので、お金がなくて暇なときはバスウェイでひたすらぶらぶらするのもいいかもしれません。

 

Commuter国電

 勝手に国電と呼んでいますが、そんなかんじです。国鉄の子会社が運営する、国鉄の路線を走る通勤電車です。

 国電に関してはかなり詳しいサイトがあるので、詳細はそちらをご参照ください。ので、私の独断と偏見で国電を紹介します。

インドネシアの地下鉄・都市鉄道 (http://www.2427junction.com/ 様)

 いま走っている車両は殆どが日本の中古車両というのは有名な話でしょうか。関東で長く住んでいる方は懐かしさを覚えるかもしれません。

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駅に進入する元JR東日本205系車両。塗装や金網など以外は殆ど日本時代と変わりません

 なにせ便利です。私なら、目的地まで国電で行けるのならば迷わず国電で行きます。渋滞ナシ、なのはいいですが、ときどき謎の長時間停車があったりするのはご愛嬌。遅れやすい長距離列車と線路を共用しているので勘弁してあげてください。

 個人的に国電が不便なのは、観光地を殆ど網羅していないところで、まあ観光地をアクセスするために建設したわけではないので当たり前っちゃ当たり前なのですが、観光には殆ど使えないと思ってください。また、長距離列車、特に観光客がよく利用するジャカルタ~バンドンの特急列車が発着するガンビル駅や、空港鉄道が発着するスディルマン・バル駅を通過します。

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日本と殆ど変わりません

 日本の電車を懐かしみに、電車に乗りに行くこと自体が目的になるかもしれません。

 また、観光地から離れているとはいえ、スーパー渋滞都市ジャカルタに於いてスイスイ進んでくれる数少ない交通機関でもあるので、少し離れてるけど国電で目的地に近づいてからタクシーやバイタク、という使い方もいいでしょう。

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空港鉄道のスディルマン・バル駅を通過する元東京メトロ05系

Bisバス

 前述のバスウェイとは違って、フツーの路線バスです。Bis Kota(ビスコタ、市バス)ということもあります。

 Kopaja(白色の車体に緑帯)やMetromini(オレンジと青色のツートンカラー)などがありますが、専用道を走るバスウェイと違って一般道を走るので渋滞にはまりやすく、また始発では客待ちをするのでなかなか出発しないなど、時間が読めない乗り物No.1でしょう。バスウェイより優れている部分といえば、歩道から乗り降りできるのでバスウェイのように歩道橋を延々と歩かされることがないことでしょうか。またそれも、バスウェイも路線によっては郊外で専用を飛び出して歩道で乗り降りさせる場所もあるので、その強みも少し微妙なところがあります。

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(後ろからですが)乗客を乗り降りさせるバス。日本の市バスと違い、小柄な車両です

 スリが多いらしく、治安もあまりよろしくないみたいなので、そこまでおすすめはできませんが、他の乗り物と同じように、普段着のジャカルタを体験できる乗り物であることには変わりないので、面白いかもしれません。

Angkotアンコット

 前述したみっつの乗り物が網羅しきれていない場所に行くにはアンコットの出番です。なんなら、ほかの乗り物があってもアンコットのほうが早いこともあります。angkutan kota(町の乗り物)の略でアンコット。そのまんまですね。

 アンコットはバンを改造した小型バスのような乗り物で、基本的にアンコットが停まれる場所であればどこでも乗り降りできます。本数もかなり多く、同一方向に向かうアンコットが一気に数台することもあります。乗りたいときは手を挙げましょう。

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ジャカルタではなくバンドンのアンコット。だいたいこんな見た目

 フロントガラス部分に番号や行先が書いていますが、どれに乗ればいいかはっきりしていないときやよくわからないときはアンコットを停めて運転手に直接訊きましょう。「俺のは行かねえ」だけ言う人もいれば「○○番のアンコットなら行くぜ」と教えてくれることもあります。尚、前述のバスとともにインドネシア語ができないと難しい乗り物でもあるので、できない方はそれはそれで楽しいかもしれません。

 運賃は距離に応じてだそうで、慣れていないと運賃がわかりませんが、運転手が各乗客の乗車地点を覚えているっぽいので、テキトーに5.000ルピアくらい出せばお釣りが返ってくるでしょう。心配な方は事前に運転手や周りの人に聞きましょう。運賃は降りるときに運転手に払います。

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ジャカルタではなくマカッサルのアンコット。当地ではペテペテと呼ばれます。ところ変われば呼び名変わります

 バスと同様、スリが多く危険だとは言われますが、場所や時間によっては客が殆ど乗っていないアンコットもあり、そのようなアンコットであれば大丈夫でしょう。バスにしろアンコットにしろ、夜間の乗車はお勧めできませんが。

 インドネシアの都市にはだいたい走っていて、場所によっては呼び名が変わります。上の写真のスラウェシ島マカッサルではペテペテ、バンドンではミクロレットと呼ばれていました。

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アンコットの車内。狭いです

どうやって乗るの?

 肝心なこと忘れてましたね。

 バスとアンコットは現金で支払えます。というか現金しか使えません。

 問題はバスウェイと国電です。

 これらは、専用のICカードを購入する必要があります。国電には一回用のICカード乗車券がありますが、デポジット返却に時間がかかったりするので、数日以上、また現地に在住するぞという方は、買っちゃってもいいかもしれません。

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上からFlazz、Multi Commet(コミューターのプリペイドICカード)、コミューターの一回乗車券

 Flazzカードという、高速道路料金の支払いなどもできるカードがあり、それであればバスウェイや国電も乗れます。

 購入場所はバスウェイまたは国電の駅の窓口です。バスウェイの窓口なら問題なくFlazzカードが貰えるハズです。が、ころころルールが変わりやすい国でもあるので、そのうちまた別のカードが登場しているとも限りません。

 また、ちろっと触れた「路上から乗るタイプのバスウェイ」は現金で切符が買えます。タマンミニなどから発車するバスはそのタイプでした。

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国電の一回カード発行機

 以上がジャカルタの主な交通機関です。

 タクシーやバイタクなどに関しては割愛させていただきました。また、空港アクセスに関しても、ゆくゆく紹介できればと思います。

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2006年東京、ではなく2016年ジャカルタです。

天理へおぢばがえり

 どうも。ある伝統宗教信者のがんぺーです。

 先日、奈良県は天理に足を運びました。

 私は大阪に住んでいるので、大阪市内から近鉄奈良線に乗って大和西大寺近鉄橿原線に乗り換え、平端で天理線に乗り換えると、大阪難波からは約一時間で宗教都市の天理に到着です。

 天理の駅に降り立つと、天理教の方がなにか演説してました。大阪でも何度か見たことありますが、天理に降り立った途端見かけるとはさすが天理教のお膝元。雰囲気が感じられます。天理市といえば、宗教団体名が自治体名に採用された唯一の例でしょう。岡山県金光町浅口市に合併されたいま、日本唯一の宗教都市ということになっています。大阪のベッドタウン化している周辺部はまだしも、中心部は天理教の独特な形状の建物が立ち並ぶ天理教都市です。

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天理駅前にある、おそらく天理教の施設。市内中心部に集中する天理教の施設は、学校だろうが病院だろうが宿舎だろうがこの形状の建物が多いです

 天理教では、天理は人類のふるさと。「ぢば」と呼ぶそうですが、人類のふるさとに帰るということで天理教では天理に行くことを「おぢばがえり」と呼ぶそうです。私は天理教徒ではないので、おぢばがえりという言葉を使っていいかどうかはわかりませんが、あちこちに「おかえり」と書いてあるのでたぶんいいでしょう。

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天理市内を走る奈良交通バスも、天理ではおかえりと出迎えてくれます

 天理駅前からは天理本通り商店街を通って天理教本部に向かいます。駅前にあるとはいえ人口約7万人の地方都市、市内にはイオンもあるので、多くの似た条件の地方都市であれば真っ先にシャッター通りになってそうですが、ここ天理本通りは今日の商店街にしては栄えているほうでしょう。天理といえば天理ラーメンが有名ですが、私はラーメンがあまり好きではないので食堂でカツ丼をいただきました。美味しかったです。ちなみにその食堂はフツーの食堂でしたが、店内にかかっているカレンダーは天理教のものでした。

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天理教本部へ続く天理本通り商店街。参道みたいなかんじですかね

 ちょうど行ったときは、こどもおぢばがえりという天理教のなかでも規模の大きい行事のひとつにあたっていて、びっくりするくらいたくさんの子どもがいました。子ども向けか普段からあるのかわかりませんが、商店街にも出店が並び、町中もこどもおぢばがえりの歓迎ムードです。

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近鉄こどもおぢばがえりを歓迎していました

 商店街は天理教本部に近づくにつれて神具店や天理教のはっぴなどを売る店が増えてきます。天理教書店もあり、この記事内の天理教情報はそこで買った本を基に書いていますので、天理教について詳しく知りたい方は最寄りの教会へどうぞ。

 商店街を抜けるとそこは天理教本部のまえです。巨大な神殿が現れます。時期が時期なので子どもが多かったです。

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天理教書店。天理の案内や、日本語版とインドネシア語版の天理教の教典などを購入しました

 実は(というほどでもないですが)天理教本部にくるのは二回目なんですね。中学生のときに部活の合宿で天理に来たことがあり、そのときに朝のお勤めに部員全員で出たことがあります。天理教の詰所(宿泊施設)を使用させてもらったので、顧問の先生が使わせていただいた礼儀としてお勤めに出ようということだったのでしょう。私と天理教の接点といえば、このときの合宿と、前住んでいた家の目の前が天理教の教会だったことくらいです。

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天理教本部神殿。めちゃくちゃ大きくてきれいです

 入っていいかどうかはわかりませんが神殿をひとまわりしました。天理教にはひのきしんと呼ばれる奉仕活動があり、神殿のあちこちで掃除をしていて、巨大で長い回廊もホコリひとつなく清潔に保たれています。天理教徒にとっては神聖な場所なのでのこのこ観光気分で歩き回るのも失礼かなと思いましたが、すごく落ち着いた雰囲気がいいかんじでよかったです。

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本部神殿をぐるり一周。上の写真とはまた別の礼拝堂

 神殿にいるのもいいですが、この日天理に来たのは天理参考館という博物館が目的です。天理参考館というとなにやら天理教の展示ばかりしていそうな名称ですが、天理教に関しての展示は少なく、アジアやアメリカ大陸方面に強い民俗学博物館といったほうが正しいでしょうか。詳しくは紹介しませんが、おもしろい展示物がたくさんあるので、関西の方は次の週末お出かけや博物館デートにおすすめします。遠方の方も、奈良観光のついでに是非どうぞ。

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天理参考館。天理教本部と同じ建物だそうです

 天理参考館は正式名称を天理大学付属天理参考館といい、名前の通り天理大学の施設です。天理大学はもともと天理教の海外布教を目的に作られた語学学校が前身らしいので、いまでも人類学分野に強いのでしょう。実際、日本で数少ない閩南語(台湾語)の辞書のひとつは天理大学が作成しています。

 また、天理参考館でも展示がありますが、アメリカ大陸への布教は盛んだったらしく、いまでもブラジルなどに多くの信者がいるそうです。試しにグーグルマップでブラジルに焦点を合わせTenrikyoと検索したら、天理教の施設がたくさんありました。日系人への布教が中心だとしても、ポルトガル語の知識は欠かせないでしょうし、実際天理大学にはポルトガル語の専攻課程があります。

 このブログはマレー世界が主な話題ということなので繋げておくと、天理大学といえば関西で数少ないインドネシア語が履修できる大学のひとつです。専攻課程があったかどうかは記憶にないのですが、スピーチ大会などでも天理大学からの出場者は珍しくないので、質の高いインドネシア語教育が行われているものと思われます。

 余談ですが、私の大学のときの指導教官がインドネシアの大学に通っていた時、天理教の方が同じクラスにいたそうです。天理教の布教と教典をインドネシアの言語に翻訳するために大学で学んでいたそうです。天理参考館の展示でもありましたが、全く基盤のない土地に行って布教するというのは相当な根気が必要で、たくさん苦労もしたことを考えると脱帽です。

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JTBも遠方からのおぢばがえりをサポート。ちなみに鉄道ファンには天理臨と呼ばれる団体貸し切り列車は有名です

 がんぺーの天理訪問記は以上です。ただの紀行ではありますが、これからもちょくちょくこのような記事も書いていこうとおもうのでよろしくお願いします。

 

天理へのアクセス(公共交通機関

大阪から

 近鉄奈良線大阪難波日本橋、上本町、鶴橋などから乗車)で大和西大寺へ。西大寺から橿原線で平端、平端から天理線近鉄天理へ。難波から約一時間。

京都から

 近鉄京都線に乗車。急行が速い。橿原神宮行きは平端で天理線に乗り換え。奈良/西大寺行きの場合は西大寺で乗り換え。

奈良から

 近鉄西大寺で乗り換え。JRの場合は万葉まほろば線で天理まで。

 近鉄電車は京都から天理行きの急行や普通電車が出ていることがあり、西大寺からでも利用できますが、本数が少ないので平端乗り換えが確実でしょう。